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教員の現代経済ウォッチング

Vol.29 宗教における包括と排他

人間は苦しむ。人間は病気や貧困や無視に苦しむ。宗教は人間が苦しむからこそ存在する。宗教は人間を苦しみから救うと言う。もちろん宗教が病気や貧困や無視それ自体から人間を救済するわけではない。病気から人間を救うのは医療であり、貧困から人間を救うのは経済政策であり、無視から人間を救うのは社会の在り方である。宗教に固有の救いはこれらの救いとは異なる。宗教の救いは人間が苦しむことそれ自体を反省することから始まる。

仏教は人間が病気や貧困や無視に苦しむのは自らが健康や豊富や賞賛を欲望するからだと考える。したがって人間が苦しみから救われるためには自らの欲望から脱却する他はない。戒律を守るなり座禅を組むなりして自らを欲望から解放すること、これが仏教の言う人間の苦しみからの救済である。
落合 仁司

落合 仁司

キリスト教は人間が苦しむのは人間である限り不可避であると考える。しかし人間には神と呼ばれる他者が臨在しており、この神と呼ばれる他者が人間の苦しみを自らの苦しみとして共に苦しんでいると考える。人間は自己の苦しみを他者が共に苦しんでいる時、そこに愛という名の救いを見出すのではないか、これがキリスト教の言う人間の苦しみからの救済に他ならない。

仏教の救済は自己の欲を空無と喝破する覚による。キリスト教の救済は自己の苦を他者が共苦する愛による。自己の覚による救済と他者の愛による救済、人間の苦しみからの救済という出発点は同じでも、二つの宗教は全く異なる方向へ救いを求めている。この二つの宗教を強引に一つの宗教に還元する必要は全くない。仏教に絶対の他者を見出す無理も、キリスト教に空無の自覚を持ち込む無茶も、ほとんど無駄な努力である。宗教は一つであるという包括主義は一方の宗教を他方の宗教に同一化することを目論む帝国主義の別名に他ならない。

それでは宗教は他の宗教との差異のみを際立たせる排他主義であってよいのか。昨今の民主党幹事長の「文明論」にも見られるように、排他的すなわち他者を排するのは仏教かキリスト教か様々な議論が可能である(*)。しかし他者を排他的だと切って捨てる排他主義もまた包括主義同様百害あって一利ない。包括主義でもなく排他主義でもない宗教の在り方、いま求められていることはこれである。

*2009年11月、民主党の小沢一郎幹事長が金剛峰寺を訪問した際に「キリスト教は排他的であり、キリスト教文明は行き詰っている」と発言。また後日、キリスト教団体からの抗議に対して、同幹事長は「宗教論と文明論を言っただけ」と説明した。

落合 仁司落合 仁司
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