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学部長ご挨拶

 同志社大学経済学部は、1891(明治24)年9月に設立された「同志社政法学校」の「理財科」を起源としています。1889年にミシガン大学大学院において、論文「日本の産業革命」でPh.D.を取得した小野英二郎(ジョン・レノンの妻・オノ・ヨーコの祖父)が教頭・教授をつとめるなど、優れた教員を擁した先進的な学校でした。もともと同志社では、1878(明治11)年から英学校においてD.W.ラーネッドによる英語の経済学の講義が行われており、これが日本で最初の経済学の講座と言われています。
 その同志社英学校の創立者である新島襄は、1888(明治21)年に「同志社大学設立の旨意」を発表して大学設立にむけて精力的に活動していましたが、1890(明治23)年に神奈川県大磯の百足屋で死去します。新島の遺志を継ぐべく当時の同志社は、将来の総合大学設立をめざして、英学校に続いて「ハリス理化学校」や、医学校をめざした「同志社病院」などを次々設立していました。その一環として設立されたのが「同志社政法学校」なのでした。
 その後1904(明治37)年に政法学校は廃校となり、1912(明治45)年には専門学校令による私立同志社大学政治経済学部、1912(大正9)年には大学令による同志社大学法学部経済学科、太平洋戦争の渦中の法文学部(1947〔昭和19〕年)、戦後の混乱のなかでの法経学部(1947〔昭和22〕年)と変遷し、1948(昭和23)年に経済学部として独立して今日にいたります。そしてこの間実に多くの有為な人物を輩出してきたのです。
 ところで新島には、1874年にアメリカバーモント州ラットランド市グレイス教会で開催されたアメリカン・ボード第65回年会における涙ながらの訴えに始まって、生涯資金集めに奔走していたようなイメージがあります。けれども次のような言葉を残しています。

 経済は金をも労力をも消した力が、ききみ(効き目)を持たねばならぬ。ききみの好きが経済なり。
          (同志社編(2010)『新島襄 教育宗教論集』岩波文庫、122-123ページ)

 実際新島は、大学設立にむけて次々と土地を取得し、国債に投資するなど、資金集めという「労力」に頼るだけではない、「ききみ」、すなわち効率をも考慮した経済観念のある人物でした。
 経済学は高度に制度化され、分析アプローチも体系化された学問なので、どこで学んでも同じだと思われがちです。けれどもこのような長い歴史と伝統、そして創立者の思想を受け継ぐ同志社大学経済学部で学ぶことによって、分析対象である、人びとのくらしや社会へのまなざしは差別化できるのではないでしょうか。
 本学部で学ぶみなさんが、新島が望んだ「良心を手腕に運用する人物」へと成長することを期待しています。


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同志社大学経済学部・経済学研究科長
横井 和彦